俺とタイセツナヒト。

「タイセツナヒト。」というタイトルの小説があり、その小説は
毎月2ページづつ連載されている「いわゆる連載小説」なのだけれども
少し変わっている所があり、気になったので紹介してみようと思う。



タイセツナヒト。は毎回主人公が変わる独白形式の小説で
今回は高校生の男の子が主人公で、次はOLの未亡人が主人公で、と
一話ごとに語り手が変わっていく中でストーリーが展開されていく
割合にありふれた手法で書かれているのだけども

2ページ目の最後の3行だけは、次に語り手になる人に代わっていて
一人の語り手の話は次の語り手の話に続いていて独立した物語ではない
ということを上手く表現しており物語にも技法にも興味をそそられる。



ずっと前に
「結果だけで判断しないで、と言う貴方の『結果』は他人からは『過程』と見られてる」
なんてことを書いたけども、これもそれとたぶん同じで

「最初はまずまずで途中は上手くいって最後に駄目になった」場合
途中までは上手くいったのだから最後は見ずに途中までで判断して欲しい、そう思ってしまうけども
最初と途中が上手くいって最後が駄目になった理由は何か
そして次に成功させるために、どうすれば駄目になった理由を克服できるか
他人はそう考えて「駄目に終わった結果」ではなく「成功するまでの過程」と見ている

だから「失敗した今」を「成功するかもしれない未来」に続くよう
駄目になった部分に目を向けろと言ってくるのだと思う。



このことがわかった時は、今まで言われてきたことを次に続く人へ言う番が廻ってきた時なのだろうか。