俺と気がついたこと

近代では、車いすで生活している人が「このマンションはエレベーターがないから移動しにくい」と言った時、車いすを利用していない人から「そんならお前が自分で金出ししてエレベータでもなんでもつけろや!」とは言われなくなりました。


最近では、そこからもう一歩進んで「エレベーターが設置されたりフロアの段差がなくなったら車いすに乗っていてもいなくても関係なく便利だよね」というバリアフリーと言われる考え方が一般化してきています。


この様に「目に見える障害」を持っている身体障害者に対しては、その人達が特別に労力を割かなくても生活できるようにしていこうぜ!という考え方が広まっているのですが、「目に見えない障害」である知的障害者ADHDアスペルガー症候群の人に対しては未だにその人達や周囲の人達が特別な労力を割いて当然、場合によってはどれだけ努力しても排除されるのはしょうがないという考え方が変わってないように思います。


なんでこんな重いことをいきなり言い出したのかというと、ネットでADHDとかアスペルガー症候群について調べた結果、どうも自分はアスペルガー症候群に当てはまるんじゃないかな、と思うようになったからです。そして、アスペルガー症候群の特徴としてありがちな「人とのコミュニケーションが不適切」なことで随分とダメ人間のレッテルを貼られてきたなぁと今になってムカついたからです。「場の空気を読むスキル」とか「他人とどうでもいい会話で適切に盛り上がるスキル」を所持してなくても排除せず「精神的なバリアフリー」を推進して受け入れてくれてもいいんじゃないの?と言いたいわけです。


簡単に言うと「場の空気が読めないのも他人にイマイチ興味が無いのも俺個人にすべての原因があるわけじゃないんだから、物理的なバリアフリーだけじゃなくて精神的なバリアフリーもしてくれよ!」というお話。
もっと簡単に言うと「周りの人の顔色をうかがって空気を読んでニュータイプみたいにわかりあえるお方同士で結託して空気読めない人を馬鹿にする風潮はいい加減に終わりにしようぜ!説明されないとわからない人に合わせて説明するコストを社会全体で共有したら、詳しく説明されなくても大丈夫な人にもその恩恵はあるからさー」と言いたいお話です。


どうもイマイチわかりやすくしきれないのでまた時間と余裕があったら掘り下げてみたいですね、この話題。