俺と個人史の終焉について

「ある個人史の終焉」というブログを読んで自分の「個人史が終焉」した瞬間を思い返して書いてみました。



5年前の夏が秋に変わりかけていた頃。
夜勤明けで寝不足の頭を抱え、前日より不調を訴えていた同居人と一緒に病院へ行った。診察室へ入っていくのを見送り、病院の長椅子でまどろんでいたら、妊娠の診断が出たと診察室から出てきた同居人に言われた。

その後、両方の親へ話に行ったり結婚式を挙げたり苗字が同じになったりといろんなイベントがあったけれども、パンパカパーンッ!貴方は大人の階段を上りました!ストレス耐性が2上がった!精神的余裕が3上がった!というような変化は一切なく、決定的に相手が嫌いになっても簡単に別れるってのは出来なくなったんだなぁという実感だけがあった。

そして予定日から1ヶ月ほど過ぎ、「もう産まれた?」と聞かれるのにNoと返事をするのがいい加減イヤになってきた頃、激しい腹痛で唸る家人の横でTVを見て笑っていたらドスの効いた低い声で「殺す」と言われた2時間後、家族が1名追加された。

出産は自然分娩の予定が急に変更されての帝王切開だったので、子供のことを考えるよりも家人が何事もなく手術室から出てくるように、と考えていたせいか取り上げられた子供が分娩室から出てきたことに気がつかず、疲れきった顔の家人に「先に連れて行かれたよ」と教えられて新生児室に走る羽目になった。

それから半年が過ぎた頃、布団に転がる子供を見たとき、まったくこれといった理由はないのに「あ、こいつは俺が手を抜いたりいい加減に生きてたりしたらその分嫌な思いをしたり苦労したりするんだ」と瞬間的に考え、ゾッとし、同時に恐怖と不安を覚えた。

それまでは、割と何事にも拘らない性格だったので嫌な物は嫌と言い、嫌な者とは喧嘩し、嫌な所には絶対行かないと堅く心に決めていたのだけれども、嫌なことを避けて逃げた結果が子供に当たるのならもう避けられないし、受け止め切れるぐらい強くならなければ駄目なんだ、と瞬間的に理解した。



多分、その瞬間に自分の「個人史」が終焉を迎えたのだと思う。そして次の瞬間から「家族としての歴史」が始まり、振り返れば自分が「個人史」と思っていたものも「家族としての歴史」の中の一部で、それに気がついたことに妙な気恥ずかしさを覚えた。



(追記1:ある個人史の終焉の簡単な解説=結婚して子供が出来た男性が子供を持ったことで自分個人としての人生は終わったのだ、という内容です。紹介リンクを張りたい所ですが色々あったらしく消されているので興味がある方はググってみるといいかもしれませぬ)
(追記2:当ブログは独身主義や子供を持たない家庭を非難中傷するものではありません。念の為)
(追記3:idiotapeさん、おめでとうございます。)