俺ときょうだい児の話

今日はつい最近知った「きょうだい児」という言葉についてのお話。


実に黒々しいお話なので明るい話が読みたい人は読み飛ばしてまた後日来て頂くか他の面白いサイトを見るといいですよ!ワンパンマンとかオススメですよ!



前置きも終わったので本題。


「きょうだい児」いう言葉の意味は「長期的な治療を必要とする病気や身体的及び精神的な障害を持つ兄弟・姉妹がいる児童」ということだそうです。つまり「兄が病弱で長期入院している妹」とか「弟が身体障害者手帳を持っている姉」とかがきょうだい児に該当します。サラリと書くと自分自身もこの「きょうだい児」に該当していたのですが、思い起こせばこの事で随分と思い悩まされてきたものです。


wWw<世の中不平等だ!自分だけ不可避な嫌な思いするのはおかしい!なので無差別(以下自粛)とか考えたりな!
(・∇・)<ほんのちょっと何かがズレてたら間違いなく警察のご厄介になってましたよね、逆毛様


自分の場合は、弟がアレでソレ(色々と配慮して曖昧な表現)だったので、物心ついた時から「なんかコイツ嫌やなぁ、邪魔やなぁ」と思っており、時々周りの大人に「なんで弟はこんなんなんだ、俺はこんなのと家族なのは嫌だ」と不平不満を漏らしたりしておりました。そういう時、周りの大人は「でもしゃあないねんで」と言うばかりで「嫌でも兄弟なんだからいずれ面倒を見るんやで」と怒られることもありました。そして小学生になって、何年か経って弟も同じ小学校に入学してきて「あいつ○○の弟やねんで」と同級生から言われたり、夏休み中の1泊2日のキャンプで同じ班にさせられて「弟なんだから し っ か り 面倒見るように」と言われ、楽しみにしていたキャンプファイヤーも飯盒炊爨も全然楽しくなくて「早く終わって家に帰りたい」としか思えなかったりと、小中学生の多感な時期に様々なイベントを経験した結果、見事に根性がねじまがってしまいました。


wWw<オッサンになった今ならわかるけど、大人なんて子どもの気持ちを絶対に理解できないよね
(・∇・)<時間と手間を惜しまなければ判るのかもしれませんが、大人って忙しいですしねぇ


この時期に「しゃあないから嫌とか言うな」とか「兄弟なんだからいずれ面倒を見ないといけない」と言われたことは超ド級のストレス・不満・プレッシャーとして自分の人生を押さえつけていて、それを自覚し、跳ね除けられたのはつい最近のことです。つまり30年近く囚われ続けてきたわけです。


とはいえ「しょうがないんやで」とか「面倒は見ないといけない」と言った方に悪意はなかったんでしょう。多分。
人間は完璧でも神様でもないから、病気や障害をなくすことはできないし、福祉という名の相互援助システムも不完全なので見殺しにするか誰かが犠牲になって面倒を見るかしか現実的な選択肢はないわけですから。なので「しょうがない」ということにして、当事者に不平と不満を言わせなくしておいて「面倒を見るように」と洗脳しておけば「部外者である自分は何も負担しなくていい」し「可哀想な子が不幸になる未来を回避できた」と「先のことを心配しなくていい安心」を獲得しようとする。大抵の人がそういう風に振る舞うし、みんながやっていることをやる時に後ろめたさとか疑問を感じる人は少数派なので、自分の言っていることに何も疑問を持たない。正しいことを言っていると思っている。
でも、それを言われる当事者はどうなのか。「お前がどんなに努力しても逃げられないんだ」「お前に責任のないことで嫌な目に合うが文句を言うな」と言われ続けてまともに育つ子どもってどのぐらいの割合なんでしょうね。


恨みつらみとか私怨とかが全開で出だしたので話を「きょうだい児」に戻します。
この言葉は、上記のような「病気・障害のある児童の兄弟・姉妹のストレス・不満・プレッシャーを理解・分析して、軽減できるように働きかけようじゃないか」ということから提唱された言葉なんだそうです。なんでも1970年代から研究が行われていたとか(参考:NHK福祉ポータルハートネットより)


wWw<ホントかよ。俺21世紀になってから初めて聞いたぜ?
(・∇・)<一応福祉系の学校とか仕事とかしてたんですが、その辺の話は初耳ですよね、逆毛様


こういう社会のセーフティネットの知識は直接関係ない人にもちゃんと知らせないといけないと思うんですがね。だってこういう支援制度があるって知っていたら「不満があっても我慢しろ」とは言わないでしょ?すごいストレス状況にあるって知ってたら、小学校の担任だって「ああいう弟を持つお前に、ああいう弟は普段どういう生活をしているのかクラスのみんなに積極的に発表して説明して欲しい」とか言わないですよね、普通は。ちなみにこの担任のことは20年以上経った今でも許していません。スプラッシャーで「分子分解」とかしたくなるぐらいです。


また私怨が出だしたので話を元に戻します。
「きょうだい児」という言葉を知った。でもネットで調べたりしても具体的に支援している活動団体や、きょうだい児についてまとめているサイトがあるわけでもない。そもそも自己分析すらまともにしてないんだから仮に相談とかやってても行けないよなぁ、と考えて、じゃぁ自己分析してセルフカウンセリングしたらいいんじゃないか?と思い立って、何が嫌だったのか、どうだったら良かったのか等を考えてみました。


まず「きょうだい児」として生まれたことを「しょうがない」と言われるのは嫌だったんだなぁ、と自覚することから始め、次にきょうだい児として生まれたことは「しょうがない」ことじゃないんじゃないかと考えました。
しょうがないという言葉は「手段も方法もない」というどん詰まりの言葉であって、家族が長い間闘病生活を送っていたり、身体や精神に障害があってもどん詰まりではない「はず」です。そう、現代の日本ならね。だから「しょうがない=だから諦めろ」ではなくて「そういうもんだ=だから色々考えてやっていこか」と考えるようにしていきたい。


誤解を恐れずに正直に言うと、長期入院患者とか精神障害者とか知的障害者とか身体障害者が家族にいるのは嫌です(個人の見解です)「あいつの弟○○やねんて」と言われて笑われたりするのも嫌です。嫌じゃないという人もいるでしょうが、自分は嫌です。そしてその感情を否定されたり押さえつけられたりするのも嫌です。これを他人に表明できるようになるのに30年かかりました。いやー子供の頃に言われたことって影響力でっかいなぁ!


次に、嫌という気持ちを否定しなくなったその次はどうするかを考えました。
嫌だから関わらない!サヨウナラ!で済ませるのもアリだと思いますが、同じ家に住んでるとか同じ学校に行ってるとかで物理的に関わらざるを得ないこともあります。ここで「だから面倒を見なアカンのやで」と言ってくる人も多いのですが、嫌なことを強制しようとするのなら代価を要求してもいいはずです。代価を払えないというのなら負担を共有すべきです。嫌とは言わせません。
同じ家に住んでる・学校が同じなどの場合どうしてもストレスが溜まるので、そのストレスを解消できるように、きょうだい児に対してもっと積極的に福祉サービスが関わるべきだと思います。具体的にはカウンセリング付きの家庭教師のサービスとか、家庭から離れて一息つけるショートステイとか、地域や学校に対する不平不満を代わりに言ってくれる弁護サービスとか。税金はかかるかもしれませんが、雇用も生まれるし、なにより「もし子どもを産んでその子が何かの障害を持っていたら…」と恐怖して結婚や出産を諦める人に「大丈夫!」と安心を提供できる側面もあるので、費用対効果は十分あるんじゃないですかね。多分。色々ボロクソに言われている大津市教育委員会とかが導入したら注目されているだけにセンセーションを巻き起こすんじゃないでしょうか。


これらのことを考えた結果、「産まれてきたらきょうだい児だった、もしくは何年かしたらきょうだい児になった。これは飯食わなかったら腹が減ったり、ずっと生きてたらそのうち死んだりするように「そういうもん」で誰かが悪いわけでもないし、嫌だなーと思うのを我慢しないといけないことでもない。ただ何らかの手を打たないといけないので、親兄弟・親類親戚・近所のおっさん&お姉さま・日本国民全員を巻き込んで自分の人生の負担にならない程度に軽減した上で手を打っていこう、兄妹・姉妹やからって全部抱え込もうとせんでもええんやで、となったら問題解決できるんじゃないか?」という結論に到達しました。


wWw<とはいえ当事者じゃなきゃ他人事だからなぁ、あんまり負担してくれないんじゃないのかねぇ
(・∇・)<その辺を力づくでなんとかするのが「法律」なので、その辺も勉強してみましょうかね、逆毛様


是非書きたかったことなのでとりとめもなくダラダラと書いてみたら思いの外長くなって驚きです。文章にすると自分の感情とか考えがコンパクトにまとまるので、大抵の場合「あれ?思ったより短い文になったなぁ」となるのですが、今回は書きたいことを半分以上削っているのにこの文量。流石30年分の長さというか重さというか。98%ぐらい自分のために書いているのですが、ほんの少しでも困っている誰かが見て気が楽になったら幸いです。まぁ、生きてりゃいいこともあるということで。